妻垣神社について

妻垣神社について > 松本清張と妻垣神社
松本清張は作家としてデビューする前の無名な時代、安心院を訪れ、足一騰宮の伝承が残る当社に立ち寄ります。そのとき、霧が立ち込め盆地の南に龍王山、妻垣山(共鑰山)の麓にある古代ロマンに満ちた妻垣神社や騰宮學館が深く印象に残り、のちの小説『陸行水行』を執筆しています。妻垣神社と松本清張  続きを見る 昭和56年11月 妻垣神社に参拝された時の様子松本清張 明治42年(1909)12月21日生 平成21年(2009)生誕百年 昭和28年(1953)に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。平成三年(1992)8月2日、満82歳で逝去するまで多くの作品を発表する。代表作に『点と線』『ゼロの焦点』『砂の器』『Dの複合』などがある。今こそふるさと! 日本の原風景 安心院 作家松本清張は昭和17年以降、安心院町を度々訪れ、
昭和36年には安心院町、妻垣神社を舞台にした『陸行水行』を発表され、古代史ミステリーの代表作となっています。 予告チラシ(PDF) ご予約・お問い合わせはこちらから

妻垣神社との出会い

松本清張は作家としてデビューする前の無名な時代、故郷北九州において朝日新聞西部支社の臨時嘱託(のちに社員となる)として勤め生計をたてていました。
古代史が大好きであった清張は、休暇を利用しては愛用の自転車にまたがり、遺跡・史跡が残る地域を廻るのが趣味でした。
そんな中、昭和17年(1942)、安心院を訪れ、足一騰宮の伝承が残る当社に立ち寄ります。
その時、霧が立ち込め盆地)の南に龍王山、妻垣山(共鑰山)の麓にある古代ロマンに満ちた妻垣神社や騰宮学館が深く印象に残り、のちの小説『陸行水行』を執筆しています。

松本清張は妻垣神社を訪れた際、神社近くに住む藤井家の藤井すえのさんと出会います。
当時、藤井家では戦争で長男を亡くされた直後で、すえのさんと両親の3人暮らしでした。そこに同年代であった清張を息子と照らしあわせた藤井夫妻は、縁側でいろんな話をし、当時食料が少なくなってきた時代であったにもかかわらず、清張に漬物やサツマイモなどをリュックいっぱいにお土産に持たせました。
藤井家の好意にいたく感激した清張はその後、すえの氏が他界するまで、文通が続きました。

拝啓 昨日はまた突然の参上して種々御世話様になり数々の御厚情を頂き深く深く御禮申し上げます。お蔭さまで九時次帰宅家内一同も大よろこびで今更の如く御好意に深謝申し上げて居ります。名誉の御戦死をなされた息子さんをおもはれる親としての御心情には思はずほろりとしました。小生の年齢が息子さんと同じなのも何かの御縁とでも申しましょうか。何卒今後とも末永く御交友下さるようお願い申し上げます。御家内様にはくれぐれもよろしく先はごあいさつまで 藤井滝士郎様 松本清張

翌、昭和18年(1943)、清張は教育召集のため久留米第56師団歩兵第148連隊に入ります。翌年6月に転属。衛生兵として勤務することとなり、朝鮮に渡ります。その際、すえの氏に次のようなお別れの手紙を送っています。

拝啓 大変永らく御無沙汰致しましたが御変わりありませんか。御伺ひ致します。さて今般小生は晴れの御召しに預り00日入隊することになりました。戦局愈々重大な折柄兼ての覚悟で居たところですから、今更何を思うこともありませんが、唯、貴女のお家には一方ならぬ御世話になりながら、その御禮にも伺えずにこのまま発つのが残念です。この上は縣令に業務につとめて御期待に添いたいと存じます。貴女にはたった一度お会いしたきりでしたがいつもお手紙を頂戴していたので初対面とは思はれませんでしたが、この次にお目にかかれるのは何日の日でせうか。ただ御身体だけは  に御自愛のほどお祈り致します。一人息子さんを失はれて、ただ、お孫さんの成長を楽しみにして居られるご両親のご健在をお祈り申し上げます。尚、ご返事を頂いても小生出発の後となりますので何卒ご無用に願ひます。敬具藤井すえの様 松本清張 昭和十九年六月二十四日

松本清張 邪馬台国小説文学碑戦後、無事に帰国した清張は朝日新聞社に復帰。のちに作家としてデビューし、数々の作品を世に出していきます。
その一つが、昭和36年に出版した短編小説『陸行水行』です。この小説は、清張が一連の古代史論(主に邪馬台国論争)に力を注ぐきっかけになったといわれています。

その年、清張は再び安心院に訪れ、すえのさんと再会した折、大事に保管していた自身の手紙を見て、次のような歌を詠んでいます。

十八年前のわが手紙 なつかしむ眼ににじむ 豊前の秋 清張 昭和三十六年八月二十六日
石碑

そして昭和46年には、長編時代小説『西海道談綺』を執筆し、主人公が現在の大分県日田から宇佐の四日市まで向かう道の途中に、安心院や当社が再び登場します。
以降も清張は安心院にたびたびに訪れており、神社拝殿に掲げられている写真は、昭和57年、安心院町に清張の文学碑竣工を記念して訪れた際に、当時の町長矢野武氏の案内によって当社を参拝された時の写真です。
また清張は安心院のすっぽん料理と安心院ワインが大好物であり、地元のやまさ旅館に滞在し、安心院に訪れた際はよく召し上がられたとのことです。