このページでは恒例祭の他にも、年間を通しての行事も掲載しております。
また、当神社では、年2回のペースで社報「ともかき」を発行しております。
(ともかきとは、妻垣山と呼ばれている神体山の正式名称、共鑰山よりとったものです。)
各号の内容を抜粋して併せてご紹介致します。
当社最大の行事である秋季大祭(例大祭・神幸祭)が10月27・28日の2日間にわたって執り行われました。 本年は大祭に併せての神賑(かみにぎわい)行事として、安心院高等学校茶道部の協力のもと、お茶会と献茶式を初めて開催致しました。
お茶会
遺族会館をお茶席会場として使用し、生徒一人一人の素晴らしいお手前を拝見しながら、お菓子とお茶を戴きます。お茶会の開催は当社としては初めての試みでしたので、お茶と一緒に戴くお菓子を、50人分ほどご用意していましたが、予想を遥かに超え、1時間という短い時間の中で、約80名以上の方に、ご来場して戴き盛会のうちに終えました。
献茶式
お茶会と同様、献茶式も初めての試みでした。生徒たちがお茶3碗を捧持し、神職の先導により、本殿へと進みます。三柱の神々の御神前にお供えし、巫女舞の後に、玉串を捧げて参拝しました。
お茶会・献茶式は、周辺の寺社で行っている所は少なく、神社としても大変意義あるものとなりました。また「生徒一人一人にとっても、大変貴重な体験となりました。」と先生方からのお言葉もいただき、初回としては大成功ではなかったでしょうか。
今後は高校と協議し毎年開催できる様、進めて参りたいと思います。
かつて、お祭りには子供たちによるおはやしが奏でられていました。しかし、少子化により、その音色も聴かれなくなり、少しずつ寂しくなっています。
この貴重な文化財を後世にと、大口田の有志が奏でるおはやしを、OBS大分放送の協力のもと収録。CDにしました。
※CDを希望される方は、ともがき会まで、お問い合わせ下さい。
【曲 目】
1. 神輿御発 六調子
2. 神輿道行 三拍子
3. 神輿御着 五調子
【演奏者】
太鼓 … 衛藤太一
笛 … 衛藤博幸、衛藤啓二、安部和雄
チャンガラ … 衛藤 忠
昨年、1基の神輿を担いだことにより、今年は3基ある神輿を担ぐ担ぎ手を募る取り組みを実施。目標人数30人までとはなりませんでしたが、20年ぶりに2基の神輿が人々の手によって、本殿へとお還りになりました。
また、かつてけんか神輿と呼ばれていた頃を、彷彿させるかの様に、神輿をぶつけ合うといった場面もありました。担ぎ終えた担ぎ手達は、高揚感と達成感で素晴らしい表情をされていました。これを機に来年は3基を担ぐ事を目標に、担い手を募りたいと思います。担ぎ手の皆様、ご奉仕ありがとうございました。
去る9月16日、地元佐田地区の俳人大隈草生先生をお迎えして、第2回目の句会を開催。
当日は台風16号が接近している悪天候の中ではありましたが、多くのご参加を戴きました。
神社の風景を詠んだ参加者の句(全16句)はどれも素晴しいものばかりです。
奉納いただいた句は1年間、神社拝殿に掲示させて戴きます。御参拝の際にでもご覧下さい。
夏真っ盛りの8月5日、午後よりのにわか雨により、場所を忠魂碑前より、英霊の御霊を祀る忠霊殿(遺族会館)に移して、神社主催の第2回宇佐両院戦没者慰霊祭を厳かな中に斎行。遺族、氏子崇敬者約60名が日清・日露戦争、そして大東亜戦争で亡くなられた旧安心院・院内町の兵士1071人の冥福を祈りました。
式では、宮司の祭詞に続き、代表者一人一人が玉串を供え、英霊の冥福と恒久平和を祈りました。また、親風流寺山分会(代表衛藤博幸)の献吟もおこなわれ、参列者の涙を誘いました。そして本年は、戦没者の手紙を紹介。手紙の主は、昭和14年にノモンハンにて戦死された糸永林将校(町内荘出身)です。部下による将校が絶命した時の様子や、生まれたばかりの赤子を始め、幼い子たち、そして愛する妻への思いが綴られており、当時の将校の心情に一同、胸をつかれる思いでした。
年末恒例の絵馬の奉納をおこないました。
氏子の皆さんや、中でも特別養護老人ホーム妻垣荘様より多くの奉納をいただき、前年を超える290枚となりました。ご協力戴きありがとうございました。
皆さんが掛けられた絵馬は、4月の元宮祭において、願いが叶う様にと、祝詞をあげ、お焚きあげをおこないました。今年末も実施したいと思いますので、ご協力の程お願い致します。一昨年より植え始めたシャクナゲの植栽活動は順調に進み、今年も絵馬の浄財で30本の苗木を購入し、植栽しました。
早くも70本を超え、当初の目標である100本まであと少しです。
このシャクナゲの植栽活動は、今後も取り組んでいきます。
境内の整備活動として、本年は南門・手水舎周辺、玉垣内の木を剪定。
特に今年は忠魂碑周辺の茂った雑木も伐採し、碑周辺の222基ある供養塔がよく見えるようになりました。
今後も、会は神社の環境整備を中心に活動していきたいと思いますので、一人でも多くの参加をお待ちしております。
本年は、我が国最古の歴史書『古事記』が編纂されて、1300年の節目の年を迎えました。当社元宮“足一騰宮”も、神武東征の段内にて、県下では唯一登場します。
また近年のパワースポットブームの影響もあってでしょうか、元宮へお参りされる人の数が、年々増えています。神社としては大変喜ばしい事なのですが、実は元宮までの参道は30度の傾斜をもつ狭く滑りやすい坂道を登らなくてはなりません。
そこで、今回ともがき会の協力により、坂道に120段の階段を築き、横には拝田屋様に奉納戴いた手すりを会員たちで取り付け、登り降りをしやすくしました。また、神社拝殿前には佐東義明様より奉納いただいた竹の杖もありますので、参拝の際にどうぞご利用ください。
去る1月9日、大学入試センター試験を目前にして、地元の安心院高等学校の佐藤校長を始め、先生方が、受験生たちに代わっての試験合格祈願祭をおこないました。
またこれに先立ち、昨年末の12月10日には、生徒一人ひとりがついたお餅を御神前にお供えし、生徒さん方をお祓いしました。様々な縁を結ぶ大神様の御神徳を戴き、今年も多くの受験生が希望の進路へ進むことができたとのことです。
大分市のNHK大分放送局内にて行われいる文化サークル大分教室より30名が、元大分大学教授後藤惣一先生、島田稔キャスター引率のもと、去る1月19日、当社に参拝されました。同会は様々な文学を研究され、年数回、親睦も込めて県内外の文学にまつわる地域を訪れ見識を深めているとのことです。
当日はあいにくの雨模様で、足元が悪い中の参拝となりました。当初30分の滞在の予定でしたが、皆さん、清張先生の事に関してはもとより、神社の事、神道の事など話は弾み、気づけば2時間を超えての滞在となりました。
恒例の秋季大祭が10月22・23日と両日にわたり行われました。田舎の小さなお宮のお祭りは年々さびれていくところが多くある中、今年は朝のうちより神社へ訪れる参拝者が多く、境内に車を停めるスペースがないほどの賑わいとなりました。また高齢化でここ数年、神輿を担いでいませんでしたが、今年は久しぶりに三基ある神輿のうち一基を担ぐことができ、神様もさぞやお喜びになられたのではないでしょうか。
大祭に併せ、神社では第2回パネル展「先人たちの奇跡~貴重な資料を未来へ~」を開催。両日に渡り、氏子の皆様を始め、多くの方が来場されました。パネル展は当初、大祭の2日間のみの開催としておりましたが、後世にきちんと神社の歴史などを伝えてもらいたいとの声が多く聞かれましたので、常設の資料室としていつでもご覧いただけるように致しました。今後は試行錯誤しながら、充実した内容にしていきたいと思います。これに併せて、宇佐市四日市の拝田屋様より、ガラスケース6台の寄贈がありました。大事に活用していきたいと思います。
文豪松本清張の作品や記念館事業に関心を持たれる方々が集まり、清張や記念館に関する知識や理解を深めることを目的とした「友の会」が、去る11月8日、当社を参拝されました。
会は清張ゆかりの地を定期的に廻っており、今回は「陸行水行」の舞台となった当社が選ばれたとのことです。
友の会の会員は、全国に約460名にもなり、今回は北九州市を中心に遠くは東京、横浜からみえた42名の参拝となりました。
神社境内の忠魂碑前で8月7日、旧宇佐郡戦没者慰霊祭が厳かにおこなわれ、遺族、氏子崇敬者約50名が日清・日露戦争、そして大東亜戦争で亡くなられた旧安心院・院内町の兵士1071人の冥福を祈りました。
式では、宮司の祭詞に始まり、岩男立夫宇佐地区遺族会会長による追悼の言葉も奏上され、参列者一人一人、玉串を捧げ、英霊の冥福と平和を祈りました。また、氏子衛藤博幸氏による鎮魂の詩吟『戦場の月』が献吟され、参列者の涙を誘いました。遺族より「高齢化が進む我々遺族に代わって、神社が慰霊祭をして下さり、大変ありがたい。毎年開催されると聞きましたので、多くの遺族や地域の人に声をかけ、元気に歩けるうちは、お参りしたいと思います。」との感謝の言葉をいただきました。
祭場となった忠魂碑は明治44年(1911)に、東京の靖国神社や県の招魂社にお参りに行くことが容易ではなかった旧宇佐郡の遺族のために、当時の宇佐神宮宮司、妻垣神社宮司、在郷軍人などが発起人となって、当時の金額で3000円の寄付を募り、神社境内に建立されたものです。(「忠魂碑」の字は地元安心院出身の政治家木下健次郎氏と交友の深かった元内閣総理大臣の桂太郎氏によるもの。)
建立後は、行政による慰霊祭が毎年盛大に行われました。終戦の後は、昭和27年(1952)に碑の周辺に旧安心院村出身の戦没者(222人)の墓が建立され、毎年8月には行政・遺族会合同の慰霊祭が行なわれてきました。 しかし時代が経ち、自治体の合併、遺族の高齢化などの問題により、近年、慰霊祭は行われていませんでした。そこで神社では本年より年中行事に組み入れることを総代会にて決定し、神社主催による第1回目の慰霊祭を行なった次第です。 今あるこの平和はこれら先人たちのおかげによるものであり、今後は氏子の方を始め、両院の多くの方々の参拝をお願いしたいと思います。
昨年末から春にかけてのともがき会の活動を紹介します。
年末、一昨年より始めた絵馬の奉納をおこないました。
氏子の皆さんや、中でも特別養護老人ホーム妻垣荘様より多くの奉納をいただき、前年を超える290枚となりました。ご協力戴きありがとうございました。
皆さんが掛けられた絵馬は、4月の元宮祭において、願いが叶うようにと、祝詞をあげ、お炊きあげをおこないました。
今年の大雪の正月のように、近年寒い冬が続いています。
祭典に参列する総代や、参列者にすこしでも寒さをやわらげてもらえればと、絵馬の浄財で大型のストーブを購入し、神社に奉納いたしました。
昨年、試験的に植えたシャクナゲが見事に育ち、神社の土地に適することがわかりましたので、絵馬の浄財で新たに30本の苗木を購入し、境内に植栽しました。 このシャクナゲの植栽活動は、今後も取り組んでいきたいと思います。
参道の整備活動として、本年は第一鳥居から続く百段階段横のうっそうと茂った雑木を伐採しました。
今後もともがき会は、神社の環境整備を中心に活動していきたいと思いますので、お気軽にご参加ください。
作家松本清張のファンでつくる民間団体「清張の会」が、去る1月9日、安心院出身の会員の紹介により、小説「陸行水行」の舞台である当社を参拝しました。 そして若葉の季節をむかえた4月24日には、会員が所属している北九州市立大学同窓会戸畑支部の同窓会38名が当社を参拝されました。
去る1月8日、大学入試センター試験を目前にして、地元の安心院高等学校の先生方が、昨年に引き続き受験生に代わっての合格祈願祭をおこないました。 先生方には絵馬に生徒一人一人の希望をのせて記入して戴き、必ずや願いが叶うようにと御神前にお供えしていただきました。お陰で希望の進路が叶えられました。
神社拝殿前に「参拝作法」を記した看板を設置しました。
看板には次のように記されています。
『 参拝作法
二礼二拍手一礼 祓へ給へ 清め給へ
惟神 奇魂 幸へ給へ 』
神社(神道)は常に祓いの宗教といわれます。
神様の御前に立ちまず「祓へ給ひ 清め給へ(お祓い下さい。清めて下さい。)」
と唱え、知らず知らずに犯した心身の罪・穢れを取り除きます。
そして清らかな姿で「 神奇魂 幸へ給へ(大神様の尊いお力によって、幸せへとお導き下さい。)」と
祈念して唱えましょう。大神様の御神徳を戴き。必ずや良い方向へ導かれると思います。